蟷螂日記
 平安時代、右大将藤原道綱の母が「蜻蛉日記」を書きました。それから約1000年後、内容も文学的重要度も
全く違う「蟷螂日記」を書こうと思います。尚、この日記は正確な記録ではなく、記憶の糸を手繰りながらの記述です。日記内容等の不明瞭な点についてはご了承下さい。

vol.1 路上のカマキリ

   今年の関東、東北の夏は冷夏だった。お盆の頃も肌寒く、灰色の空を見ては傘を広げていた憶えがある

8月も終わりになる頃に、ようやく本来の暑さを取り戻す様な気候になる。そんな週末だった。
その週末、スーパーでの買い物の帰り、駐車場にカマキリの成虫がいた。♀。
 人工のアスファルトに自然の葉の色を彷彿させる緑のカマキリ。この奇妙な組み合わせに、たいして
驚きはなかったが、このままだとカマキリが車輪の犠牲になるのは明らかだった。
 
少し考えた末に空のカップに入れて持ち帰る。実はあまり昆虫を触ることにいささか抵抗がある。子供の頃、よく平気で触れたもんだとたまに思う。カマキリもゴキブリに近い仲間だと本でしってから「肉食性の緑のゴキブリ」みたいな定義を自分で勝手に持ち込んで触れなくなりつつあった。しかし、幸いにタイミング良く空のカップに飛び込んでくれたので、急いでフタをして持ち帰る


vol.2 瞬間風速的な飼育動機


 帰宅後、透明のカップを見ながら少し白けた気分になる。なんで捕まえたのか?車輪の犠牲から
救い出したなんてのは単なる思い込みであのまま放っておけば、家族と買い物に来た小学生が捕まえ
たかもしれない。なんて思いながら成虫をよく見ると緑の身体が半透明になっていて光っている。どうや
ら成虫になりたてらしい。・・・再び捕まえた動機を考えてみる。車のエンジン点火がスムーズにいかなくて、路上でエンストを起こしたら非常に危険な状態になってしまう。修理に出している間カマキリの仕草でも見ていようと思ったのか?ところがその後、車を修理に出そうと決心して日曜日まで待っているうちに、エンジン点火はすっかり完治してしまった。車のエンジンの不調の方が瞬間風速的だった。


vol.3 残暑の虫達


 本当は、すぐに適当な場所をみつけて逃がすつもりだった。第一、生餌さを捕るのは面倒だし
空腹そうなカマキリを見ているのも何気にうしろめたい。カマキリに振り回される生活も阿呆らしい。
ところがいざ逃がそうとしても、なかなか・・・
面倒くさい。あと、どうやらこのカマキリは成虫になるために脱皮したばかりなので体が柔らかい感じだ。
すこし日を置いて様子をみることに。
今年の夏は冷夏だったが、9月になって残暑がぶり返してきた。場所によっては35度をこえる猛暑に
なり、近所の大人の会話にも「涼しくなる頃に休みをとったつもりなのに・・・」とか「子供のためにも
8月と9月を交換してもらいたかった」などという声も聞こえる。
 衰えをみせないセミの鳴き声が残暑を強調するが、日が沈むと季節は明らかに動いているということを
キリギリスやコオロギの力強い声から感じとることができる。
 ある日、コンビニに行くと駐車場にアブラゼミが転がっていた。飛べなくなっていたが、拾うとけっこう暴れる。
コンビニの光に激突して弱ったか、あるいは寿命そのものなのか?帰宅してカマキリの入っている容器へ。
観察していると結構面白くて・・・。逃がすのが少し先になりそうだ。

vol.4 異なる2つの[エサ捕り地域]

 カマキリのエサ捕りというものは、大変だということを事前にしっていた。草原などに
行って網をもって・・・・などと考えていた。だからカマキリを路上で拾った時点で「逃がす」
ことを視野に入れていた。しかし、コンビニの駐車場で弱ったセミを見たときに「エサ捕り」は
意外と楽にできるるかもしれないと感じた。ここは*ライト・グリーン地帯*なのかもしれない。
この予感は、その後的中する。「草原」と元草原だった「新市街地」。

カマキリを路上で拾った時点できづくべきだったのかもしれない。・・・他の昆虫も
路上に落ちているとを。

晩秋に向かって




消えゆく

だんだん


mantis diary に続く


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